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2、日本と朝鮮の歴史

(1)古代から江戸時代までの交流の歴史

 朝鮮は中国と陸続きなので、昔から仏教や漢字、焼き物など中国の文化の影響を強く受けきました。また、中国から朝鮮半島を通って日本へたくさんの文化も伝わりました。青磁器や鉄器や陶磁器(須恵器)もそうです。
 5世紀後半、日本では奈良県の大和地方に大和朝廷が成立しますが、このころ朝鮮から日本に移り住む人たちがいました。大和朝廷は大陸の文化を取り入れるために渡来人と呼んで迎え入れ知識や技術を学びました。聖徳太子の時代には、こうした人達の指導と協力によって、日本で最初の寺院である飛鳥寺や現存する世界最古の木造建築である法隆寺が作られました。1972年奈良県明日香村で一つの古墳が発見されました。高松塚古墳と名付けられたこの古墳は7世紀末から8世紀初めに作られたといわれています。高松塚古墳の壁の絵は、高句麗という朝鮮半島北部にあった国の古墳に描かれた壁画とよくにているといわれています。このようなことからも日本文化のふるさとは朝鮮や中国だということがわかります。
 戦国時代には各地の武将が領土の奪い合いを繰り返していましたが、豊臣秀吉によって全国統一が行われました。秀吉はこの勢いに乗じて、朝鮮半島に出兵し侵略を始めました。そのとき、多くの焼き物作りの技術者を日本に連行してきました。有田焼・萩焼・薩摩焼きなどは、そのときに連行された人達によって作られたものです。
 江戸時代には鎖国政策がとられたため長崎の出島でオランダ・中国(清)や朝鮮通信使などによる交流がわずかに続きましたが、日本は外国の文化から取り残されてしまいました。

(2)植民地支配の歴史

◆江華島事件
 1868年、明治時代になると天皇を中心とした政治が行われるようになりました。日本は欧米諸国に対抗するため、富国強兵政策をとりました。当時、国交の途絶えている朝鮮に対し、西郷隆盛らは武力に訴えてでも国交を結ばせようと征韓論を唱えましたが、大久保利通らに反対され西郷らは政府を去りました。
 ところが1875年、政府は軍艦を朝鮮半島の南に派遣して、砲撃練習を始めました。さらに、ソウルの近くの江華島にまで進出して挑発したので、朝鮮は江華島砲台から警告の大砲を撃ちました。日本軍はこの朝鮮の行為を口実に、軍隊を派遣して江華島を制圧しました。こうした事件を背景にして、翌年、強引に不平等な日朝修好条規を朝鮮に認めさせ、釜山(プサン)などの3港を開港させました。
 この条約の内容は、日本がアメリカに押しつけられた日米修好通商条約より、はるかに日本に有利で朝鮮に不平等な内容でした。
◆日清戦争
 日朝修好条規が結ばれると、日本の商人が朝鮮の米や農産物を安い値段で買い集め、日本で高く売ってもうけました。米不足になった朝鮮では米の値段が上がり人々の生活は苦しくなりました。
 1894年、農民は竹やりなどの武器を持って倉庫をおそい、税金として取りあげられた米を取り返しました。これを甲午(こうご)農民戦争といいます。
 朝鮮政府は農民の反乱をしずめるために、となりの清に出兵を求めましたが、日本も同じように軍隊を送り込みました。農民軍は政府軍と休戦したので、朝鮮政府は日清両軍に引き上げを要求しましたが、日本も清も軍を引き上げず、日本と清の戦争となりました。
 戦争は日本の勝利に終わり、翌年の下関講和条約で、清は日本に多額の賠償金を支払いました。戦争に勝った日本は朝鮮侵略をさらに強めました。
◆韓国併合
 日清・日露の戦争に勝った日本は、1905年、韓国の外交権をうばって『保護国』としました。1909年には韓国に統監府をつくり初代統監に伊藤博文をおいて支配体制を固めましたが、抵抗は激しく、安重根に射殺されるという事件が起こりました。
 この事件を理由に1910年に、韓国を日本の領土の一部とする『韓国併合』を行いました。日本は韓国を朝鮮を支配するために朝鮮総督府を置き、すみずみまで日本の軍隊や警察を配置して抵抗運動を弾圧し、植民地として支配しはじめました。
◆土地と言葉をうばう
 朝鮮の人々を『日本人』に変えていく政策が進められました。総督府は日本語の教科書を作り学校で日本語の授業を強制し、朝鮮語の使用を禁止しました。また朝鮮全土の土地調査をして、それを日本の東洋拓殖会社や日本から渡ってきた人達に安い値段で払い下げました。1918年、日本で米騒動が起こると、強制的に米を買い上げ日本に送りました。そのため朝鮮の人達は米を作りながら米を食べることができず、中国北部から輸入した粟や大豆といった雑穀を食べなくてはいけませんでした。
 土地や職業をうばわれた多くの人たちは日本や満州にわたり、日本人より安い賃金で働かなければなりませんでした。
◆3・1独立運動
1911年、中国では辛亥革命が起こり、清が滅び中華人民共和国が成立しました。第1次世界大戦の最中にロシア革命(1917年)が起こり、皇帝の専制政治を倒して世界最初の社会主義国家が誕生しました。第一次世界大戦後は東ヨーロッパ諸国の独立が認められたりして、世界は大きく変わり始めました。
 朝鮮でも1919年3月1日、朝鮮の独立をめざす人たちがソウルの公園にあふれていました。独立宣言文が読み上げられると、民衆は「独立万歳」を叫びデモ行進を始めました。この動きはやがて朝鮮全土に広がり、1年間で200万人の人たちが参加する大きな独立運動のうねりとなりました。日本政府はこの独立運動を、朝鮮にいる軍隊・警察だけではおさえきれず、日本からも軍隊を送って弾圧しました。この運動は3・1独立運動とよばれています。
◆創始改名
 朝鮮人としての民族の誇りをうばい、『日本人化』する政策がいろいろ行われました。日本は『皇国臣民の誓い』をつくって、学校や職場の朝礼で唱えさせ、チマチョゴリなどの民族衣装も禁止しました。日本語の教科書や日本の歴史を強制しました。
 1939年には、朝鮮人の姓名を日本式にかえる『創始改名』を行いました。先祖代々受け継いできた姓名を日本式にかえることは我慢できないことですが、朝鮮名では役所で書類を受け付けてもらえず、子どもを学校へ入学させたり、食料の配給も受けられませんでしたから、やむなく日本式の名前にかえました。

 

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●2003 年9月に施行された改正地方自治法により、庄原市では従来の「管理委託制度」を廃止し、自治体が指定する機関に管理を代行させる「指定管理者制度」に移行しました。
しかし、2006年度4月1日から予定していました指定管理者(=高暮自治振興区)が庄原市との契約未締結のため当宿泊研修所での宿泊および宿泊予約はできません。
●その後、高暮自治振興区は、ふるさと村高暮の委託管理契約を解約しましたので、2006年9月2日より本施設は休館いたしました。