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ダム工事

多くの犠牲を伴いながら堤堰は高さを増した。対岸に見えるのは採石場、日発や奥村組事務所、配給所、警察駐在所、診療所など。鉄工所や木工所もあった。

 

4、ダム工事と強制労働

 1940年3月には高暮ダムへの建設資材を搬入する道路・神之瀬発電所・沓ガ原堰堤・君田発電所・沓ガ原堰堤・君田発電所間の隧道(萩川水路)などの工事が始まり、翌年の12月には早くも君田発電所へ送水が開始され、1942年には君田村発電所が運転を開始しました。この年から、高暮・神之瀬間の隧道工事や高暮ダムの工事も本格的となり、下高暮の堰堤付近に工事現場の事務所や飯場が立ち並ぶようになりました。

堤堰の下手

堤堰の下手。一番手前に見えるのが朝鮮人飯場。

 

ダム工事集合写真3

1943(昭和18)年頃の写真。日発や奥村組の職員小林和夫さんの長女美寿恵さん(前列左端)の姿がある。

 工事は資材不足と雪、人力に頼る作業との闘いでした。ダムサイトの現場責任者であった斉藤清美さんは「最初のうちは物資不足なのに、セメントや鋼材は軍事工場並みの扱いで、不思議なくらいよく届いていた。しかし、戦争が進むに連れて不足し、16年から17年にかけては休止状態に追い込まれた。」と語っておられます。現在のように機械化されておらず、トロッコ押しなどの重労働や、落盤事故などが起こりやすい隧道工事などの危険な工事には多くの朝鮮人労働者が従事しました。
 当時の工事の様子が櫃田村誌には次のように書かれています。

 工事も現在のような機械は余りなく、朝鮮人がモッコを担ぎ、つるはしを振り上げての作業で、モッコに石を入れ「チンヨ、チンヨ」とかけ声をして運んだ。現在では想像もできない就業状態で、工事の最盛期には朝鮮から連れてこられた若者たちが、慣れぬ作業に耐えかねて逃げ出す者も多く、山伝いに逃げる若者に握り飯をそっと渡してやることも度々あった。逃亡者のあとを飯場の世話役が数人で追いかける。地理にくらい逃亡者たちの大半は捕らえられてつれもどされ、他の者への見せしめとしてリンチがくわえられた。アイゴー、アイゴーと泣き叫ぶ声を、彼等の親たちが聞いたらどんな思いだろうと貰い泣きすることも1度や2度ではなかった。
 工事は大量の砂やセメントを必要としたが、とても道路でまかないきれる量ではなかったので、三次駅より高暮まで索道を張り、途中に「日下」「宮ヶ原」「沓ヶ原」の3カ所に駅を設けて中継した。三次からはセメントや生活物資を、「日下」からは砂を積んだ。
 「沓ヶ原」までは運搬機1台にセメント5俵、沓ガ原から高暮へは7俵を積んだ。約50米ごとに積出し、毎秒2米の速度で運んだ。積雪で道路は輸送ができなくても索道は運転ができるので、工事の主役であった。
 沓ガ原ダムの砂は「日下」から送られてきた量で大体まかなうことができたが、高暮堰堤の工事には絶対量が足らなかったので、沓ガ原索道の上に大製砂場をつくった。高暮ダム上流にも製砂場がつくられた。砕石や索道には70馬力のモーターが使われたので、ものすごい騒音で付近の民家の迷惑は大変なものであった。
 
索道の柱は大半は杉材で、50米以上の高いものは鉄柱が使われた。柱のてっぺんに注油するために運搬機に乗って次の柱へとまるで猿の如く身軽な動作で作業をしていた。索道は山頂から山頂へと張ってあるが、ところによっては30度近い急勾配の所もあった。こんな所では運搬機が時々スリップしていた。重量のある運搬機だったから、煙をはき火花を散らして走りくだって、次の運搬機に突き当たり、大音響と共に落下する。このような状況が次々と繰り返され、10数台が1カ所に落ちることも珍しくなかった。このスリップ事故で運搬機と共に落ち死亡したものも何人かいた。また、柱から柱の間で運転が止まり、宙ずりのまま大声を出している姿も見受けられた。
 昭和17年の年末頃には沓ガ原駅から神之瀬発電所迄、道路上にレールを敷き、電車で砂やセメントを運搬した。
 終戦が近付くに従って資材も欠乏し、工事も次第に進まなくなった。だが、日発広島支店が沓ガ原に疎開したりして建物も大きく社宅も多く、人口も多く大変な賑わいであった。
     -櫃田村誌より要約抜粋-

 

送水開始

まだ完成していないが、1944年には貯水を始め、翌年2月には神之瀬発電所に送水を開始した。

 

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重要なお知らせ

●2003 年9月に施行された改正地方自治法により、庄原市では従来の「管理委託制度」を廃止し、自治体が指定する機関に管理を代行させる「指定管理者制度」に移行しました。
しかし、2006年度4月1日から予定していました指定管理者(=高暮自治振興区)が庄原市との契約未締結のため当宿泊研修所での宿泊および宿泊予約はできません。
●その後、高暮自治振興区は、ふるさと村高暮の委託管理契約を解約しましたので、2006年9月2日より本施設は休館いたしました。